トリハダ 岩崎恭子さん 金メダルまでの家族の物語!!

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 テレビ朝日系列8月20日放送  トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン 

 今夜のトリハダは【最年少金メダリスト!日本の超人女子中学生秘話!】という見出しで、1992年バルセロナ五輪・女子平泳ぎ200㍍で金メダルを獲得した岩崎恭子さんの物語でした。

 14歳と6日という史上最年少で金メダルを獲得し、「今まで生きてきた中で一番幸せです」と語った恭子さん。
 そのウラにあった家族のドラマ。突然の父の病、姉と争った代表枠。あの言葉の真実、今まであまり語られることの無かった家族の物語です。

 

岩崎恭子

 

 

 岩崎 恭子さん(2009年4月、元ラグビー日本代表の斉藤祐也さんと結婚したため本名は斉藤 恭子)は1978年7月21日、静岡県沼津市に生まれました。
 3歳上の姉、敬子さんと共に明るく育ちました。

 そんな2人のお母さんには悩みがありました。それは敬子さんが喘息だということ。

 それを心配したお母さん、喘息には水泳が良いと聞きスイミングスクールに通わせることに。
 お父さん、お母さん共に水泳はもとよりスポーツはやっていませんでしたが、敬子さんは水泳を始めるとみるみる才能を伸ばし、それにつれて喘息も快復へと向かいました。

 そんなある日、お父さんが病に倒れます。それは白血病でした。
 入院治療が続き、医療費もかかります。

 そんな折、5歳の恭子さんがスイミングスクールに通いたいと言い出しました。
 当時、恭子さんは何でもお姉さんのマネをしたかったそうです。
 生活が苦しく敬子さん1人を通わせるのがやっとでしたが、「2人を平等に育てたい」というお母さんの思いから恭子さんも水泳を始めることになります。

 初めた頃はお姉さんの背中を追い続け、遠く及ばない恭子さんでしたが、恭子さんには類まれな持久力がありました。

 それを物語るように、小学校の時の持久走大会のビデオが流されていました。
 初めは出遅れるものの、持久力を武器に最後はブッチギリで優勝するというもの。

 その後、水泳でメキメキ頭角を現し中1の時、全国大会で優勝します。

 そして、バルセロナオリンピックの最終選考会で、姉の敬子さんと対戦することに。

 バルセロナオリンピックの水泳女子平泳ぎの枠は2人のみ。
 当時、最有力の選手で1枠は決まっていた為、もう1枠を姉妹で争うことになってしまいました。

 お母さんは「バルセロナは敬子。恭子には次のオリンピックで頑張ってもらおう」と考えたようですが、結果は恭子さんが選ばれることになりました。

 そして、あの感動の金メダルへとつながります。
 バルセロナ大会では恭子さんはメダル候補としては全くのノーマークでした。

 しかし、予選でも好タイムを出し、決勝では優勝候補筆頭、アメリカのアニタ・ノール選手の隣のコースで望みました。

 初めは、5位争いぐらいにつけていましたが、後半ぐんぐん追い上げラスト50過ぎてノール選手に並びます。
 息が上がるノール選手を怒涛の追い上げで抜き「金メダル」を獲得しました。


 

 そして、金メダル獲得後のインタビューで今なお有名な「今まで生きてきた中で一番幸せです」とコメントしました。

金メダル

 恭子さんは三姉妹で姉・敬子さんと恭子さんの下にもう1人妹がいます。
 予選会で恭子さんに敗れた敬子さんの当時の心情はどのようなものだったか気になります。

 最後に番組では、子どもも生まれ現在35歳になった恭子さんに「今まで生きてきた中で一番幸せだった事は何ですか?」と質問しました。

 答えようとした瞬間、構成どおりCMが挟まれた訳ですが、そのCMの間にウチの嫁が「そりゃあ子どもを産んだことでしょ」と言いました。

 CMあけ、恭子さんの答えはやはり「母になったこと」と言っていました。

 ウチでは普段は言うことを聞かない子供らに手を焼いているわけですが、それでも「子どもを産んだこと」が1番幸せなのだと考えさせられました。

 それにしても、「トリハダ[秘]スクープ映像100科ジテン」いいですね。
 番組が始まった当初、題名だけ見たらよくある「タダの衝撃映像集」かと思いましたが、

 シャラポワさんの物語しかり、アンジェリーナ・ジョリーさんの物語しかり、感動的な物語を数多く放送しています。
 今後も、火曜日の番組表は要チェックですね!

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最後までお読み頂きありがとうございます m(_ _)m

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